Haradaiko  

   好きな味噌汁の具材は豆腐です。

オタク差別に関する仮説、覚書

差別は一般に、差別するひとと差別される対象との接触機会(直接の知人が被差別属性をもっている人である「直接接触」と、知人の知人が被差別属性をもっている人である「拡張接触」[間接接触]がある)が増えるほどに低減することが知られている(Allport 1954;1979 , pettigrew&tropp 2006など)。

「オタク」は現在では人口に膾炙した言葉となっており、いわゆる陽キャであってもアニメやゲームをひろく楽しむようになっている。すなわち、オタクの定義を単なるアニメ・ゲームユーザーとして定義するならば、オタクとそうでないひとの接触機会は、(特に若い世代においては)極めて多いであろうことが推定される。であれば、オタクへのネガティブ感情も当然少なそうなものだが、以下の記事などを見ると、どうやら必ずしもそうではないらしい。

オタクと気持ち悪いという言葉 - データをいろいろ見てみる

 

もちろん、上記記事でのデータは長い時系列を示すものではなく、俯瞰的にみれば(例えば90年代と2019年現在を比べれば)オタク差別は低減しているといって差し支えないかもしれない。とはいえ、現状において(それが以前ほどではないにしても)一定の差別感情が温存していることは確からしく思える。

 

ともかく、「オタク」と「キモい」のそれぞれの言葉が連続した関係を見せるのはなぜだろうか。
これに対する仮説はいくつかすぐに思いつくだろう。
例えば、①オタク定義自体がもっと複雑であることや②オタクとの接触機会の少ない層が偏った言説を極端に強化している、といったことだ。


①は、「ただアニメをよくみるひと」のことを私達がいちいち「オタク」と呼ばないことから分かる。オタクと敢えて呼び称す必要があるのは、もっと特殊な状況であろう。具体的には、件の献血ポスターでの出来事からも分かるように、「普通はしないことをアニメやゲームなどを動機に行う人」のことをオタクと定義しているように見える(残念ながら、献血は普通はしないことだろう)。そうすると、オタクと敢えて呼ばれる存在がじっさいにはかなりの少数で的を絞った対象であることが分かってくる(とはいえ、普通はしないことという分類自体が恣意的ではあるが)。そして、そういった少数派とそうでないひとの(直接・間接)接触機会が依然として低いならば偏見が強く存在していることにも説明がつく。

昔と今ではオタクの範囲がズレている。すなわち、現在では「ライト層」(あるいは「にわか」)と呼ばれる人たちでさえ昔は明らかな「オタク」として扱われてきたのに対し、今ではそういった層は「オタク」とはあまり呼ばれない(のかもしれない)。誰もがアニメを観るようになりオタクの裾野が極端に広がるなかで、「誰もがオタクだと思うひと」(「オタク」という語が敢えて指すにふさわしいひと)の範囲がかえって狭まり、それにつれ大局的にはオタク差別が減りつつも、より狭い範囲でオタク差別が温存している可能性がある。


あるいは「オタク」という概念自体にそもそもネガティブな意味付けが行われている可能性もあげられる。
つまり、オタクという語自体が侮蔑のための“形容詞”として流通しており、「オタク」と「キモい」が関係するのは、それが同語反復(tautology)であるからかもしれない。「オタク」という語が抽象化された集合のことを指すのではなく、「○○(人名)ってオタクだよね」という言明が「○○ってキモいよね」という言明の言い換えでしかないなら、必然的に「オタク“で”キモい」という文章が多くなることも頷ける(前述したオタク定義がより厳密であることが原因とみる場合、「オタク“は”キモい」という文章が多くなるだろう)。


②は、オタク定義の内容が仮に「アニメをよく見る人」程度の広範なものであれ、より厳密な狭い定義であれ、そこでオタクと定義されるひとと(年齢や土地によって区分された)特定の層のひとの接触機会が顕著に少ない可能性についてである。つまり、オタクをキモいと関連付けてツイートする/発言するひとは例えば高齢者などのいわゆるオタクとの接触機会が少なそうなひとに偏っている可能性である。特定の発言力の高い/発言頻度の多い層のひとばかりが「オタクはキモい」と言及することが、あたかもオタクに対する全体の印象を代表しているかのように錯覚しているだけかもしれない(/じっさいには多くの人はオタクにネガティブな印象をもっていないかもしれない)。オタクにたいしてネガティブな印象をもっていない人は敢えて「オタクはカッコイイ」というようなポジティブな発言しないように思う。そのために、オタクへのネガティブな発言が中心的な位置に置かれてしまう錯覚が生じる可能性は十分にある。

 

これらの仮説が正しいかはともかく、オタクがある特定の人びとにとって嫌な存在として定着しているということがいかにして可能なのかは検討にあたうだろう。

 

雑文でした。

「メンヘラ」研究その1ーSNSにみる「メンヘラ」ー

 この文章の目的は「メンヘラ」概念の研究に関する基本的視座を提供することにある。あるいは、この概念を私たちはどのように理解することができるのか、あるいは理解しようとしているのか、そういったことに対する私なりの態度表明することといってもよいかもしれない。本稿がほんの少しでも「メンヘラ」研究に寄与してくれればと思う。なお、このエントリーはその端緒であり、これからいくつかの文章を個別に投稿していくこととなる。

 

1 SNSにみる「メンヘラ」の使われ方

 「メンヘラ」という言葉はもともと2ちゃんねるの「メンタルヘルス板」(旧:躁鬱板)に由来する。初出は2001年頃で、「メンタルヘルス板にいるひと」の意味で使われていたメンタルヘルサー(メンタルヘルスに英語の人物称である“er”を加えたもの)が略されたものである。

その後、2ちゃんねるVIP板Twitterなどの様々なメディアを介するなかで、もともとの意味が枝分かれし、多義的な言葉として定着するようになる。

詳細は以下のウェブ記事を参照のこと。

移り変わる「メンヘラ」の意味。この10年で「メンヘラ」の使用法はどのように変わったのか - メンヘラ.jp

 

  すでにこの言葉が生まれて20年近くが経つが、じつのところこの言葉に関する研究は盛んではない。『メンヘラリティースカイ』や『メンヘラ批評』といった同人誌や「メンヘラ当事者研究会」、「メンヘラ.jp」のような当事者互助組織の多数が存在し、また市井ではこの言葉にまつわる言説が数え切れないほどに流通しているにも関わらず、管見の限りでは、「メンヘラ」を主題とした研究はほとんど見当たらない(もちろん、一般に公開されていないだけで多くの人がこのテーマについて思索していることであろうし、卒業論文修士論文でこの主題を取り扱っているひとは少なからずいるかも知れない)。*1

 そういった事情を踏まえ、本稿は「メンヘラ」概念をいかに理解することができるのか、研究の俎上に載せることができるのかを簡単に取りまとめ、「メンヘラ」研究の基本的可能性を提示しようとするものである。とはいえ、ここで提示するのは誰が「メンヘラ」であるのかといった実態の提示でも、こういうひとが心を病みやすい/心を病んでいるといった心理傾向の分析でもない。ここで私が提示するのは、「メンヘラ」という言葉それ自体についてである。それはなにも閉鎖された言説空間の中での宙に浮いた議論ではない。“私たちがどのようにこの言葉と付き合っているのか”というその実践それ自体についてである。

 「メンヘラ」という言葉について知るために、私たちはこの言葉がどのように私たちの手によって使われているのかについて知る必要があるだろう。このエントリーでは、そういったことを掴み取るための前提として、この言葉が使用のされ方についての大枠について示したいと思う。具体的には、KHcoder*2を用いた計量テキスト分析によってTwitterInstagramといったSNS上で「メンヘラ」という四文字がどのような文脈において使用されているかを確認し、そこからこの言葉の使用傾向性を確認していく。

 

1-1 Twitterにおける「メンヘラ」

 さて、まずはTwitterにおいて「メンヘラ」はどのような傾向性をともなって使用されているかについてである。

 

■使用データ

 2009年~2018年につぶやかれた「メンヘラ」を含んだツイートを98,612件収集し使用した。2010~2018年の10/20~30および8/20~30の間にツイートされたものから、各年につき1万件あまりを収集。2009年は全体のツイート数が少なかったため、5/1~12/31までの2564件のツイートを収集した。

■結果

 各年の頻出語と筆者の関心をもとにコーディングルールを作成(使用したコーディングルールは資料の末尾に記載)。それをもとに年ごとのキーワードの出現頻度をパーセンテージで表した。なお、年ごとのカテゴリーの和が100%に満たないのは、キーワードを含まない文書が全文書の大半を占めるため。また数値はカテゴリーごとの相対値であり、必ずしも「すべてのツイートの○○%が▲▲に関すること」というわけではない。下図に一覧を示した。

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 大まかな話題(コーディングルールで用いたカテゴリー)の出現頻度は、10年間でそれほど大きな変化がないことがわかる。また、Twitterにおける「メンヘラ」に関わる話題の中心は「恋愛と性」にまつわるものであることがわかる。また、「男・男の子・男子」と「女・女の子・女子」という、それぞれ3つの語句を用いて「男」「女」の2つのカテゴリーを作成、出現頻度を比較した。その結果、10年間合算で、「男」(2.19%)に比べて「女」(5.90%)のほうが2.7倍多く文書に出現していた。

■考察

 Twitterにおける「メンヘラ」という言葉の使われ方は「恋愛と性」に関するものである。とくに「“メンヘラ”の女性」(と)の恋愛やセックスに関する話題が多い。Twitterにおける「メンヘラ」とは、障害者であったり病気の人というよりは、「エロい女性」とか「(恋人に対する)かまってちゃん」であり、こういったな用法は10年間温存されていることが推察される。

 

1-2 Instagramにおける「メンヘラ」

 さて、次はTwitterと同様にInstagramにおける「メンヘラ」の使用傾向をみていく。

■使用データ

 インスタグラムには約7.7万件の「メンヘラ」を含む投稿がなされている(2018/12/05現在)。今回はそこから“人気投稿”順に500件をサンプリングした。採取日時は、2018/12/0522:00-23:00。

■結果

 Instagramでは以下のワードが頻繁に用いられていた。

頻出ワード(出現回数)     

・「繋がる」(498 回)…美男美女と繋がりたい 〇〇さんと繋がりたい 

 …病み垢 病みかわいい 

・女子(282 回)…メンヘラ女子 サブカル女子 自撮り女子 

・男子(127 回) …メイク男子 裏垢男子 メンヘラ男子 

・ホスト(159 回) ・歌舞伎町 中洲 北新地(計:154 回) 

 

また、頻出語をもとに共起ネットワークを作成した。いかに図を示す。 

(Jaccard 係数=0.04) 

f:id:haradaiko1:20191023020840p:plain

■考察

 どうやら、「メンヘラ」はあくまでも幾つものファッションに関するタグのなかの一つの要素であり、自撮り写真とともに提示される情報の一つのようである。「黒髪ボブ」などの容貌に付随する記号として「メンヘラ」が用いられる。Instagramにおいては、「メンヘラ」は(あるいは「病み垢」も同様に)例えば原宿系やモード系などと同様の“(ファッション)スタイル”であり、“身にまとわれた/まとうことのできる指標”として使用されているようにも見受けられる。また、Twitter同様に、「メンヘラ」という言葉は男性に対してよりも女性に対して適用されている。総じて言うなら、Instagramにおける「メンヘラ」とはスタイルとしての「かわいい」を身につけた「女子」のことであるようだ。一応の付記をしておくと、こういった結果はInstagramにおいては自傷行為や自殺に関連する投稿が「メンヘラ」と切り離されて行われているということを示すものではない。じっさい、リストカットをしている画像を「#メンヘラ」をつけて投稿しているひとを見つけることは難しくない。要点は、そういった投稿がサンプルの中においては少数(派)であったということである。傾向性を理解することは(語弊があるが)“全体の雰囲気”を理解することであり、個別の実践可能性をつぶさに抽出するものではない。

 

 さて、TwitterInstagramを対象として(ごく簡易的な)分析から、「メンヘラ」という言葉が「恋愛や性に関する文脈」と「ファションなどの自己表現に関する文脈」といった2つの文脈で用いられえていること。そして、男性よりも女性に対して使用される傾向の強いことが把握できた。では、いくつかの文章を参照しながら、こういった傾向が具体的に現れている場面を確認していくとしよう。

 

1-3 「メンヘラ」とジェンダーバイアス

まずは女性が「メンヘラ」として記述される場面について確認してみよう。以下の引用文をご覧いただきたい。

 

 そもそも、メンヘラとはどういった女性のことを表しているのでしょうか。メンヘラとは、メンタルヘルスの言葉を略している言葉となっています。このメンヘラの意味は、精神的に弱っている女性などのことを意味しています。特に恋愛面でメンヘラを発揮する女性が多いのですので、男性に対して精神的に病んでいたり、男性に依存してしまうといったメンヘラな女性が多いようです。なので、恋愛面でメンヘラな女性は苦労してしまう…。ということも多いようです

メンヘラ女性の恋愛事情や恋愛傾向の特徴は? | 女性がキラキラ輝くために役立つ情報メディア

 

 「そもそもメンヘラとはどういった女性のことを表しているのでしょうか」という一文があらわしているように、「メンヘラ」とは自明にして「女性」であるといった前提があるようだ。(これは使い古された喩えだが)「外科医が自分の恋人を手術することになった」という時に、多くの人は自然と外科医が男性で恋人は女性といった構図を思い浮かべるという。「メンヘラ」という単語も「外科医」同様に単語それ自体にジェンダーイメージが刷り込まれているといっても差し支えはないかもしれない。

 また、ホリィ・センは「メンヘラ」をテーマとした同人誌『メンヘラリティ・スカイ』に論説の中で、女性性と「メンヘラ」との関係を、生物学的理由による「感情の波」によって説明している。ここでは「メンヘラ」が女性の持つ“本質的な傾向”として理解されている向きがある。もちろん、ここにおいて重要なのは、こういった記述が生物学的に正しいかどうかではなく、そういった「女性の本質」に関するレトリックを用いることでジェンダーイメージを補強しようとする作業それ自体である*3

「メンヘラ」という言葉は精神疾患に留まらない。私はICDやDSMなどの診断基準を明確に知っているわけではないので、多少いい加減なことを言っているかもしれないが、「精神疾患ではない」レベルの人を「メンヘラ」と呼ぶ傾向が近年強まってきているように思う。それは例えば、神経症の、中でも程度が低いもの(失敗や怒りの原因を自分に求める自罰傾向や、過度の罪悪感など。いわゆる「まじめ」すぎる人)や、向精神薬に過度に詳しいなどもある。しかし大きく集約される点を挙げるとするならば、「精神的に不安定であること」(感情の波)、「継続的で独占的な他者承認」(承認欲求)というところだろうか。「メンヘラ」が圧倒的に女性を指す場合が多いことは、この「感情の波」に起因する面は大きい。女性はホルモンバランスの関係上、生物学的に感情の波が激しくなりやすいようだ。「承認欲求」について。実はこれは「自己評価の低さ」と関係しているパターンが多い。親に褒めてもらえなかったり、放っておかれたり、親以外の環境であったり、様々な原因が考えられるが、自己評価が低いことによって、承認を求めがちである。メンヘラは自らの承認欲求のために、チヤホヤされようとする。だからこそ、よりチヤホヤされる場に行こうとする。それが文化系サークルなどのようなサークルクラッシュの場になるのである。

ホリィ・セン「サークラとメンヘラ」.p156~157,159『メンヘラリティ・スカイ』2013

 

 こういった記述を読んでいくなかで、まず大前提として共有しておくべきことは「メンヘラ」が実際に女性が多いのかはわからないということである。それは、私たちはこの言葉の厳密な定義を誰も持ち合わせていないということであり、また、「メンヘラ」にという実態のあやふやな概念が操作主義の厳密性というフィルターを通してしまった時点で、言葉の特有性を失ってしまうからである。そのなかでいま把握できたことは、私たちは「メンヘラ」とは女性のことを指す/女性に多いという理解を持っている、ということであろう。

 

1-4 「不健全な恋愛」の中にあらわれる「メンヘラ」 

 次に確認するのは恋愛文脈における「メンヘラ」の取り扱いについて。まずは以下の文章を読んでもらいたい。



相手至上主義な人っていうのがヤンデレかなって思うのです。特定の誰かを愛して愛して、その過程で独占欲を孕んで病んで、その人を外敵から「護ろうとする」行為が心底にあるのかもしれないです。「自分だけを見ていれば感じていればいい、相手のすべてを自分だけのものにしたい」「自分の愛を理解してくれない君は、自分の愛を理解できるようにしてあげなきゃね」のような感情は独占欲が強いとも捉えられますね。特徴としては、愛している人から嫌われること、愛している人の心が自分から離れること。主にこの2つを恐れ嫌がる傾向が強いです。独占欲も独占されたい欲も両方存在していますので、基本は浮気しない傾向にあります。それはいいことなのですが、相手の存在至上主義、相手以外からの好意なんかどうでもいいし気持ち悪い興味ないってなりますかね。相手がいない生活には嫌気が刺したり、相手の存在が自分を構成しているような感覚になってる人も多いみたいです。イメージ的にはこんなかんじですかね。「あなたが私の事を愛してくれてないのだったら私もう生きている意味ないよね?!」私独自の定義ではありますが、恋愛におけるメンヘラとの違いを端的に言うと、「特定の誰かに」愛されたいのか「誰でも」いいのか。特定の誰かに愛されたくてその人以外興味ないのがヤンデレ、誰でもいいから愛されたく病んでいる状態がメンヘラかなって思います。賛否は多々あると思いますが、あくまで個人的な定義です。

彼氏をヤンデレにして依存させてしまった話 - メンヘラ.jp

 

時折まとめサイト等でメンヘラ女子と付き合いたい、好かれたいみたいな記事があって、たぶんそれが意味するところは、概ね自分に滅茶苦茶依存してくる女の子が欲しいという話だと思いますが、メンヘラ女子に好かれるよう努力するよりも、上でも紹介した立ったまま寝るさんの記事のように、恋人をメンヘラに作り替えるやり方の方が難易度が低いのではないか、と思います。「特定の属性を持つ特定の人に好かれる」と「恋人を特定の属性持ちにする」なら後者の方がまだやりよいように思えるのですが、いかがでしょうか。メンヘラ女子に恋されて恋されて止まらないような、真のメンヘラホイホイ人も世の中には居るのかもしれませんが、今のところ未確認です。

メンヘラに好かれる僕がメンヘラ女子との初めての対応を振り返ってみた - メンヘラ.jp

 

 アンソニー・ギデンズは、後期近代社会では、近代において重視されていたロマンティック・ラブの形式が衰退し、間関係が脱埋込化していき、関係の再帰的言及性が増大することによって、関係性のあり方が「対等性」と「コミットメント」を中心にして営まれる“純粋な関係性”という観念が志向されるようになっていると指摘している(Giddens 1991=2005)。ギデンズの議論を踏まえつつ女性誌に載せられた恋愛ハウトゥ文章の内容を分析した桶川によれば、女性誌の恋愛ハウトゥには以下のような言説が存在する(桶川 2016)。 

 

⚫ 「自己否定意識・拒否される恐怖感つよいために、コミットする積極性を失っている状 態になっていませんか」 

⚫ 「独占欲・嫉妬心・依存心の強さからオーバーコミットメントを行っている状態になっ ていませんか」 

⚫ 「自己欲求(自分の気持ち)を満たすことのみを優先し、相手の欲求に無関心・無配慮 な状態になっていませんか」 

 

「相手の欲求を満たすこと」に固執した“従順な恋愛”や、その反対の「相手を振り回してばかり」になってしまうような“利己的な恋愛”は修正が必要な状況であり、対等な関係性の構築に向けての変化を求められる。 しかして、このような対等な関係を正常とする言説は、逆説的に、“独りよがりな恋愛”という言葉であらわされるような「ダメな恋愛」の存在を強調することになる。 

 手前に読んでもらった二つの引用の通り、「メンヘラ」の恋愛というテーマで書かれた文章では、「メンヘラ」というが相手に強く依存してしまう相手中心になりすぎてしまうひととして、また同時に、その逆に誰でもいいから愛されたいという自己中心的なひととして描かれる。桶川の指摘を踏まえると、対等な関係性を構築するのに失敗している恋愛の形態をとっているひとのことを、私たちは「メンヘラ」として表現しているように思われてくる。奥村(奥村1994)はゴフマンを引きつつ、「思いやり」を発揮できずに他者を傷つけてしまう人物は精神的トラブルがあるのだと理解され穏当に排除されていくと指摘しているが、「メンヘラ」という言語活動はこういった排除のためのレトリックなのかもしれない。さて、これらのことを踏まえると「『メンヘラ』だから問題のある恋愛をしがちなのではなく、「問題のある恋愛」(と理解されるもの)をしているひとを私たちは「メンヘラ」と称して異化することによって「理解可能な存在」として“再定置”しているのではないかと考えることができるだろう。*4

 

1-5 「メンヘラ」「病み」というファッション・スタイル 

ファッション要素としての「メンヘラ」(ここでいうのはいわゆる「ファッションメンヘラ」についてではない)として真っ先に思いつくものはやはり「病みかわいい」という言葉ではないだろうか。この言葉は江崎びす子によって、2013年に生まれたもので、彼によれば病みかわいいとは「『ゆめかわいい』という言葉に『病み』の要素がたされた派生語」であり、「病みの要素とは『自殺・殺人』『暴力・暴言』『リスカ自傷』『薬』など」だという(江崎2018)。ここにおいて「メンヘラ」は必ずしもネガティブな意味合い一辺倒ではなく、一つの自己表現としてたち現れており、恋愛文脈で見られたような「上手くいかないひと」というのとは違った独自の意味合いで使用されている。

これは、江崎の生み出したキャラクターである「メンヘラチャン」がリストカットをすることによって魔法少女へと変身をするときに、リストカットをすることの内実や背景が焦点化されず、その行為のみが単独で象徴的な装置として使われていることからも察することができるだろう。あるいはこういったことはメンヘラメイク(病みメイク)というメイクの技法においても同様にして見つけることができるだろう。メンヘラメイクは「人とは違うちょっと変わったメイクをしたい時」に用いられる自己表現であって、ある種の付加価値として「メンヘラ」という用語が使われている。

このように、私たちは「メンヘラ」という言葉の病弱そうな・痛々しそうなアイコンそれ自体を肯定的な自己表現のための資源として活用することができる。*5

 

人とは違うちょっと変わったメイクをしたい時におすすめです。赤文字系というよりは青文字系メイクですね。また、病みメイク・メンヘラメイクはうさぎメイクやおフェロメイク、血色感メイクに近い進化系のような存在なので、色素薄い系の透明感を出すこともできます。また、コスプレをする時やゴシック系ファッション、ゆめかわ系・ストリート系の原宿系ファッションやサブカル系ファッションにも似合います。浮世離れした感じがあるのでハロウィンメイクにも使えますよね。このように、自分には似合わない、と思ってしまったり一見チャレンジしてみるのが難しそうなメイクですが、使える場所がたくさんあり汎用性の高い魅力的なメイク方法なんです。

メンヘラメイクが流行!?メンヘラメイクで「病みかわいい」をゲットしよう♡|MAKEY [メイキー]

 

*6

 

 

ここまでで、ごく表面的にではあるが、「メンヘラ」という言葉についてのいくつかの使われ方を大枠を確認してきた。次のエントリーからはここまでで提示したものとは違った「メンヘラ」という言葉の使い方についてや、この言葉に付随して私たちが行っている別様の実践について示していこう。

 

参考文献 

・天野武(2005)「相互行為儀礼と処罰志向のリストカット 手首人格化の機制について」『ソシオロジ』50(2) 87-102.

・奥村隆(1994)「「思いやり」と「かげぐち」の体系としての社会――存在証明の形式社会学」『社会学評論』45(1) 77-93. 

・桶川泰(2016)「恋愛ハウトゥが提供する純粋な関係性をめぐる自己知 1985 年から 2007 年までの女性誌を分析資料として」『社会学評論』.67(1) 2-20. 

・ホリィ・セン(2013)「サークラとメンヘラ」『メンヘラリティ・スカイ』.149-179. 

・松崎良美(2018)『女子大学生の“メンタルヘルススラング”使用と首尾一貫感覚(SOC)』津田塾大学大学院国際関係学研究科,博士論文.

・Day,C (2017) "Consumptive Chic:A History of Beauty,Fashion,and Disease" Bloomsbury USA Academic.

・Giddens,A (1991=2005) 秋吉美都・安藤太郎・筒井淳也(訳)『モダニティと自己アイデンティティ』ハーヴェスト社. 

・Showalter.E (1995=1990) 山田晴子・薗田美和子(訳)『心を病む女たちー狂気と英国文化』朝日出版社

・Schuller, M (1990) "Im Unterschied. Lesen, Korrespondieren", Ad ressieren. Frankfurt am Main.

・Poter.A (1987=1993) 目羅公和(訳)『狂気の社会史』法政大学出版局.

・Gove,W.R (1980). "Postscript to The Labelling Perspective" In Gove, ed. 26-33.  




■使用したコーディングルール

*死
死ぬ or 亡く or 殺す or 亡くす or 死 or 死に or 死にたい or 死ん
*恋愛と性
愛 or 恋 or 愛す or 愛情 or 恋人 or 愛人 or 恋愛 or 失恋 or 恋しい or セックス or 性 or モテ or 付
き合う or 告白 or 結婚 or パコ or sex or 彼氏 or 彼女 or オフパコ or 性依存 or セクシャル or エロ or
ビッチ or ヤリチン or ヤリマン
*医療・治療
心療内科 or 医者 or 診断 or 病院 or 主治医 or 先生 or 精神科 or 通院 or 薬 or 受診 or カウンセラー
or カウンセリング or 治療 or 治る or 寛解 or 回復 or 医療 or 服薬 or 頓服 or セラピー or 診察 or 療
養 or 療法 or メンクリ or クリニック
*障害・病気
障害 or 疾患 or 病気 or 精神病 or 症状 or 病状 or 病
*仕事と就労
就労 or 雇用 or 働く or 労働 or はたらく or 社員 or 正社員 or バイト or 企業 or 起業 or 会社 or 過
労 or ワーク or 仕事 or しごと or 就職 or 職場 or 残業 or 無職 or 退職 or 求職 or 休職 or 自立支援
or 地域包括支援センター or 再就職 or 上司 or 就く or 職業訓練 or 転職
*家族
家族 or 母 or 父 or 姉 or 兄 or 妹 or 弟 or 親戚 or 親族 or 親 or おかあさん or おとうさん or お母
さん or お父さん or 親子 or 子 or こども or 家庭 or 毒親 or 子ども or 子供 or 父親 or 母親 or 引き
こもり or 実家 or 家事 or 祖母 or 祖父 or 家
*学校
学校 or 大学 or 大学院 or 高校 or 中学 or 小学校 or 小学生 or 中学生 or 高校生 or 大学生 or 大学院生
or 受験 or 受験生 or 勉強 or クラス or 登校 or 授業 or 休学 or 教授 or 教師 or 学級 or 進学 or スク
ール
自傷および自殺行為
リスカ or リストカット or OD or オーバードーズ or 自傷 or 自殺 or 自殺行為 or 飛び降り or レッグカ
ット or アームカット or アムカ
ヤンデレ
ヤンデレ
*男
男 or 男子 or 男の子
*女
女 or 女の子 or 女子

 

 

*1:数少ない「メンヘラ」に付随する研究としては、松崎(2018)や天野(2005)があげられる。松崎は「メンヘラ」や「コミュ障」といったメンタルヘルススラングの使用とSOC(首尾一貫性感覚)の関連性を測るための量的調査から、メンタルヘルススラングを使って自身を捉えたり、それを自称する経験がある者のSOC平均得が、対照群と比較して有意に低いことを示した。また天野は、リストカットについて扱った論文のなかで「メンヘル系」という自称が自傷行為をする自己に対する免罪符(中和の技術)として用いられていることを示した。しかし、いずれの研究も「メンヘラ」という言葉それ自体に迫るものではなく、「メンヘラ」それ自体についてを主題にしてはいない。

*2:KHcoderとはテキストデータを統計的に分析する目的で樋口耕一によって開発されたフリーソフトウェア。アンケート野自由記述・インタビュー記録・新聞記事などのさまざまな社会調査データを分析できる。

*3:こういった精神的不安定と女性性とを絡めた言説というと、フロイトの「ヒステリー」分析をおもいだすひとも多いかと思われる。男性が女性を“本質的に不安定なもの”と診断する構図はフロイトの時代から一世紀ほど経った現代においてもそれほどかわらないかもしれない(とはいえ、エクリチュールフェミニンの文脈において、マリアンネ・シェラーが「女性そのものであると定義されるヒステリー」と表現するように、ヒステリー(のような“逸脱”)を女性の生物学的本質として捉えるのは必ずしも男性に限らず、女性自身も行うものである(Shuller1990))。またロイ・ポーターは、17世紀にまで男性のものとして扱われていた狂気が、18世紀中頃には「女性化」したと述べている。18世紀後期から19世紀前期において文芸家たちは、「かよわい女性」たちの磨かれた感性が“狂気”として表現されたのだと理解し、オペラではハムレットのオフィーリアが「美しい狂女」として登場するようになる(Poter1987=1993)。また、英国のベスレム王立精神病院のゲートにあしらわれていた「憂鬱と狂乱の男性像」(MelancholiaandRavingMadness(mania):CaiusGabrielCibber1680年制作)が19世紀に撤去されたことは狂気の「女性化」の傍証とされている。他方、フェミニスト批評家のエレイン・ショーウォーターによれば、「早くも十七世紀に医師リチャード・ネイピアの記録が女性患者の精神障害の症例は男性のほぼ二倍であることを示して」おり「十九世紀中期までには、公立の精神病者保護院<アサイラム>の患者の大半は女性であ」ったという(1985=1990 p3)。

*4:しかし、ここで注意したいのは「問題のある恋愛をしているひと」の実在性についてである。かつて、ウォルター・ゴヴが「ラベリング論者は、実証研究を否定していながら裏で着々とその準備を行いつつある」とラベリング論を批判したように(Gove1980 pp30-31)、あるいは所謂「OG問題」で指摘されたように、ここにおいて「問題のある恋愛をするひと」の存在を事前に自明なものとして用意することは、変形した本質主義にほかならない。重要に考えなければいけないことは、「メンヘラ」とは「本質」かという点である。すなわち、恋愛というフィルターを通して、ある人物の特定の生得的/社会的性質が「メンヘラ」として“露見”するのかいなかという点である。本稿では、あくまでも「メンヘラ」という言葉を私たちがいかにして使いこなしているかを考察するものであり、個人に備わった本質的部分と言語の対応を検討するものではないが、上記の点に厳に留意されたい。また、構築主義やラベリング論と「メンヘラ」研究については次のエントリーで述べるので、詳しくはそちらをご覧いただきたい。

*5:キャロリン・デイによれば、19世紀中頃には肺結核の症状を強調したり、その症状を模したファッションが流行したという。上流・中流階級の女性の間では、肺結核患者が持つ肌の明るさや唇・頬の赤さを模したメイクが一般的であったようだ。

*6:病みかわいいの文脈においては、ファッションを選ぶひと自身が自分を「メンヘラ」として提示するために「メンヘラっぽい」ものを積極的に身に着けている。つまり「メンヘラ」であることを意図的にファンションによって行っている。しかし、私たちはあるファッションをまとっているひとを見つけたときに、そのひとの意図とは離れたところで、勝手にそのひとを「メンヘラ」とカテゴライズすることも行っているのではないだろうか。有り体に言えば、アクシーズファムやリズリサを着ているひとを、マイメロディが好きなひとを、黒髪ぱっつんストレートのひとを、私たちは「メンヘラ」としてカテゴライズすることをそれほど不自然でない感覚で行っているのではないだろうか。もちろんこういった恣意的な理解は全く不適切なものであるが、ウェブ上では「メンヘラの見抜き方」(例えばメンヘラ女性の顔・見た目の特徴21選!しっかり見抜こう! | Lovely[ラブリー])といったハウトゥが広く共有されているのも事実であろう。

働くということ。ささいな日常。

 

 

 

「ああああああああああああああああああ」

モニターにタイプ中に寝落ちした軌跡が描かれる。

 

労働。

 

日曜日に買ったビジネスシューズは、つぎの月曜日から金曜日、あるいは土曜日のあいだに履き古される。

縫い糸のあいだには土埃がたまり、いくら掃いてもかき取れない。中敷きの膨らみはいつの間にかなくなって、足裏には地面の硬さが突き刺さる。かかとのゴムは不均等にすり減って、足取りはおぼつかない。おまけに腰裏は破けて、みっともない。

 

労働。

 

アマゾンで注文したビジネスバッグのチャックはすでにガタガタ。

ワイシャツの袖裏にはとれない黒ずみ。

毛羽立ったネクタイ。

新品を買う金がないわけじゃない。だけどそこに注意を向ける時間も余裕がない。

まして、好きな色や柄だとか好みのデザインだとか、そういったことに頭を使う余裕なんて。

 

労働

 

吊り革も掴めないスシ詰めの電車のなかで、「あゝ今日はちょっと空いてるな、よかった」なんて考えながら。ポケットに入ったスマートフォンを、周りのひとに腕が当たらないよう気を付けながら、無理やりにひっぱり出す。

画面を開いたら、右に一度スワイプ。

音楽アプリを起動する。

電車に乗る前にあらかじめ耳につけられたイヤホン。ギュウギュウの電車の中でもコードがひっかからなくていいようにと、少し前に買われたBluetoothのイヤホン。

お気に入りの曲を探すとか、気分にあわせた曲をかけるなんて、そんな小洒落たことはできない。

データ通信量を節約するためにアプリを通してあらかじめストレージに保存しておいた、特に気に入ってるわけでもない「いつもの曲」を今日も再生する。

別に嫌いな曲ってわけじゃない。退屈な電車の輸送音を遮るには充分だ。

ただ...この「いつも」がなんだか妙に虚しい。

でも、そんな虚しさもいつもの事だから。

 

音楽で耳をふさいで、目を閉じる。

次の乗り換えまでの15分間。

「今日の夜はぐっすり眠れるのかな」なんて考えながら、すこしばかり眠りにつく。

 

Erik Satie - Gymnopédies - YouTube

 

 

Twitterにおける「毒親」言説の分析をしたかったけど途中で挫折した際に生じたなにか。あるいは“残骸”

 

❖あけましておめでとうございます

暇つぶしに、Twitterにおける「毒親」という語の使用について調べていたのだが、思った以上にやる気が出なくてヤバみチャンな感じなので、とりあえず出力されたデータをぶん投げておく。

ここに示されたデータは雑な手法によって出力された、アレがアレした感じのメモ書きであり、あまり真に受けないでほしい。ただし、何かの参考にはなるかもしれないので、参考にしたい人はご自由に参考にしてください。


ちなみに、私がこうも投げやりなのは正月休みが終了するまでにあと2時間しかないという状況でこの文章を書いているからである。あしからず。

 

 

❖使用データと分析手法

・分析ツール:テキストマイニングツール KHcoder

(KH Coder: 計量テキスト分析・テキストマイニングのためのフリーソフトウェア)

・使用データ:Twitter上で採取された「毒親」を含むツイート

 

 

❖データの採取条件

・採取を行った日時:2018/12/30ー10:00~23:00頃(日本時刻:tokyo)

・採取したツイートの期間:2018/01/01~2018/11/30

 ・ツイートの検索条件:

「"毒親" -"http" -".jp" -".com" -"https"  OR @00000000000 exclude:retweets -filter:links -source:twittbot.net since:2018-01-01 until:2018-11-30」

・取得ツイート数:120,675件

・総抽出語(使用):6,140,700(2,379,158)語

 

❖分析結果

・高頻度で出現するワード

頻出語を150語ほど列挙しました(ずっと下にスクロールしてください)。

抽出語 出現回数   抽出語 出現回数   抽出語 出現回数
毒親 138219   アダルトチルドレン 3274   干渉 1913
35216   幸せ 3225   書く 1905
思う 30690   3168   出す 1904
自分 27921   3167   早い 1893
言う 25837   普通 3157   存在 1863
22397   逃げる 3133   友達 1856
子供 18729   読む 3095   場合 1850
17623   無い 3038   意味 1842
見る 9061   辛い 2963   支配 1833
7644   結婚 2962   話す 1827
7543   好き 2904   強い 1820
育ち 7264   理解 2904   お金 1814
虐待 6466   感じる 2895   依存 1811
6293   感じ 2870   ダメ 1806
悪い 6287   AC 2776   怒る 1806
子ども 5857   違う 2647   子育て 1793
生きる 5697   自己 2631   産む 1759
5668   相手 2617   優しい 1757
5607   毒母 2555   感情 1753
Twitter 5472   2554   1743
育てる 5258   お母さん 2546   少し 1739
人間 5130   大人 2527   1717
5071   社会 2501   見える 1713
考える 5013   離れる 2479   全て 1703
出る 4972   怖い 2461   自身 1698
良い 4727   他人 2455   頑張る 1697
家庭 4555   2406   今日 1692
死ぬ 4443   息子 2341   愛情 1678
家族 4417   絶対 2328   感謝 1667
知る 4411   発達 2298   親子 1665
人生 4403   生まれる 2279   周り 1639
持つ 4354   仕事 2239   1621
4262   実家 2210   許す 1614
障害 4142   被害 2207   一緒 1563
育つ 4134   受ける 2200   時代 1560
問題 4134   ママ 2133   愛す 1559
聞く 4098   気づく 2096   帰る 1555
言葉 4066   B 2052   一番 1553
関係 3945   来る 2027   旦那 1553
出来る 3895   環境 2026   ありがとう 1552
多い 3769   生活 2015   使う 1547
分かる 3762   否定 2014   日本 1535
気持ち 3745   2007   入る 1534
本当に 3700   必要 2006   居る 1498
行く 3610   変わる 2001   モラハラ 1492
両親 3384   言える 1997   泣く 1492
3359   作る 1976   1489
精神 3346   無理 1956   自覚 1488
      相談 1936   utm 1483
      最近 1914   捨てる 1482

 

「母」という語が「父」に比べて3倍近く多く出現しています。毒親問題は母娘問題のなかで取り上げられることが多いですが、「毒のある親」は(Twitterにおける言説のレベルでも)「母」の場合が多いみたいですね。じっさい、「娘」という語も多く出現しています。

※分析にあたって「母親」と「母」「母」の1語に、「父親」と「父」を「父」の1語にまとめています。

 

・「発達」という語が結構出てきました。水島広子は著書の中で、親が「毒親」である原因の一つに発達障害を挙げています(著書は読んでないので良くはわかりません、ダ・ヴィンチニュースを信じます)。

ddnavi.com

 

水島の言うことが確かかはともかく、「発達」という言葉で「毒親」が理解可能な存在として定置されているという実践は少なからずあるようです。

 

 

他方では、発達障害当事者が親との関係(ディスコミュニケーション)を記述するときに「毒親」という語をつかったりもしている。というか、こっちの使い方のほうが多い。

 

 

 

 

・あと、「夫」や「旦那」という語が出るのが面白いですね。この言葉を使う主体は多くの場合は”妻”でしょうから、「毒親」に関するツイートをする主体に女性が多いことの現れかもしれません。

あるいは、自身と親との「毒親」関係が、「夫」・「旦那」という存在を迎えた後に顕在化して見えてくるということ...なのかな?

( こんなツイートもありました。)

 

 

・ツイート内部における語の共起関係

まずは全体のツイートで作った共起ネットワーク図です。いやぁこんなん見てもナンノコッチャワケワカメですわという感も否めないと思いますが、正しい反応です。私にもよくわかりません。

f:id:haradaiko1:20190106234317p:plain

毒親」ツイートを元にした共起ネットワーク図

 

なんかこれだけだと寂しいので、ほかの図も作ってみました。

以下は「毒親」ツイートのなかから、とくに「虐待」に注目して作った図です。

f:id:haradaiko1:20190106234355p:plain

取得したツイートをもとに、「虐待」に関連して用いられている語のみを集めて形成した共起ネットワーク図

 

まぁよくわからないんですが、もう少し頑張ったらいい感じの解釈が生じるのかなとおもいます。あの…ざつですいません、ねむいんです。

 

❖まとめ(を途中で諦めたもの)

考察とかそんな高尚なものはありません。というかとくになにもわかってません。

まぁ強いて言うなら、「毒親」言説はおもに「母」という語のもとに生産されていることが計量的に示されたことや、「毒親」を「発達」(障害)と結びつける言説が予想外にたくさん発見されたこと。

あと、「旦那」や「夫」という存在が現れるにもかかわらず「妻」という存在は現れなかったことがあげられます。

 

 

最後に

こういう点も分析してほしいとか、この言葉についてリサーチしてほしいという要望がありまし鱈投げてください。TwitterでDMなりリプライなりで送りつけてくれれば、できる限りは対応します。(TwitterID= @haradaiko1 )

 

 

おやすみなさい